電信・電話
1870年(明治3)阪神間に最初の電信線が架設された。当初は大都市間の軍・官用、鉄道用に利用され市域には関係なかったが、1883年9月、神崎停車場に電信分局が開局されて民間でも利用されることになった。1889年8月には廃止され、かわって同停車場に公衆電信取扱所が開設、ついで1893年2月に尼崎郵便局で電信業務を取扱うこととなり、郵便電信局と改称された。同年の同局電信発着数は3,335通であったが、1903年には1万2,064通、1913年(大正2)には3万2,405通と激増している。他方電話は1893年(明治26)尼崎紡績が大阪出張所との間に大阪局の特別加入区域として設けたのが市域での最初であるが、1902年尼崎に電話所が開設され、尼崎町のほか小田村杭瀬・長洲・金楽寺・西長洲・立花村・東難波・西難波、大庄村道意新田などの地域に電話が開通した。1908年加入者85、通話39万回は、1920年418、619万回、1937年(昭和12)2,814、1,403万回と発展を続け、1992年(平成4)3月末現在で市内加入電話数が233,682台、市内局は尼崎電報電話局など5局となっている。なお、1954年に市内電話が大阪局に編入され、今日に至っている。
尼崎の公衆電話第1号は、庄下遊園地に1912年(大正元)12月14日に設置された「自働電話」である。
電信・電話を扱っていた尼崎郵便局から、1946年10月1日に電話課(1928年3月18日に設置された南城内の電話分室)が分離され、南城内に尼崎電話局が設置された。1949年2月21日には電信課が分離され、尼崎電信局(所在地は尼崎郵便局と同じく昭和通2丁目)が設置された。1954年の電話自動化の際、8月1日をもって尼崎電話局は大阪堂島地区電話局尼崎分局と改称し、西長洲字一丁田(現西長洲町2丁目)の新築局舎に移転した。この結果、仁川局区域の田近野を除いて市内電話局区域が統一され、自動化と大阪局編入が実現した(田近野は1958年2月28日、西宮局に編入)。1962年2月4日、大阪局の市外局番が06となるとともに、尼崎市の市外局番も06となった(くわしくは「市外局番06」参照)。尼崎電話局と尼崎電報局(尼崎電信局が1959年5月31日廃止され、替わって6月1日に設置、この前後に昭和通2丁目から南城内に移転)が1967年9月8日に統合され、尼崎電報電話局(西長洲)となった。
参考文献
- 藤田卯三郎「尼崎における郵便制度の創始」『地域史研究』第31巻第1号 2001