写真2 「東大寺三綱牒」天平勝宝8年8月22日 東大寺蔵
東京大学史料編纂所編『大日本古文書』家わけ第十八、東大寺文書之七より転載
三綱とは、上座〔じょうざ〕・寺主〔じしゅ〕・都維那〔ついな〕からなる寺院の責任者です。この「東大寺三綱牒」に、
平栄と法正はそれぞれ自署しています。都維那に「暇〔いとま〕」と注記があるのは、休暇中という意味です。東
大寺の7人の奴婢〔ぬひ〕が天平勝宝7年10月25日の勅により解放されて良人〔りょうにん〕となりました。東大寺
三綱はこの文書で彼らを貫付〔かんぷ〕する(戸籍に登録する)戸と新しい名前を報告しています。奴婢の1人は
摂津国河辺郡郡家郷の凡川内直阿曇麻呂の戸に貫付され、凡川内縄麻呂と名乗りました。奴婢には氏がなく、
名のみです。凡川内縄麻呂の場合、奴婢としての名は縄麻呂であったと思われます。