写真3 「森本基長軍忠状案」 『楓軒文書纂』中−内閣文庫、昭和59年−より
文和元年(=正平7年・1352)尼崎周辺で楠木勢と戦った森本基長の軍忠状。森本氏は「伊丹杜本」と名乗るときもあり、
伊丹近辺を拠点とした武士であったと考えられます。軍忠状とは武士が合戦に参加し味方について戦ったことを、大将や
戦の奉行が認定した文書で、合戦後の恩賞請求の根拠となりました。ここで、森本基長の合戦での働きを認定し、文書の
奥(左端)に「承了(うけたまわりおわんぬ)」(承知した)と花押を記したのは、摂津国守護の赤松光範でした。