堤防の工事や砂防工事によって、氾濫原であった武庫川中下流域でも新田開発がすすみました。西岸では17世紀に中流、 18世紀以降は下流域で次々と新田が開発されました。市域に属する東岸では17世紀から大規模な新田開発がすすみ、幕末 まで続いたことが上図からわかります。 (武庫川中下流域の新田開発については、『岩波講座日本通史』12−平成6年−所収、水本邦彦「近世の景観」参照)