尼崎から大坂にかけての図(堺市博物館蔵「摂津国名所港津図(三津図)屏風」(部分))
寛文7年(1667)に巡見使が通行した際に作られた「海頻舟行日記」という史料に、尼崎港は「川口浅し、百石以上の舟荷を積み出入ならず」と書かれて
いることからわかるように、小規模な舟の出入りしか出来ませんでした。しかしほぼ同じ頃の様子を描いたと言われるこの屏風では、尼崎から大坂にか
けての海上にたくさんの舟が運航しています。図の下半分に描かれた町は、尼崎ではないかと推測されています。真偽のほどは検討の余地があります
が、多くの舟が海上を行き交っていたことは間違いありません。