声明書は反対理由として、グラウンドが市民施設・避難場所として必要であること、駐留により特殊飲食街(売春街)ができるなど風紀・教育上の懸念があることなどを
あげています。こうした反対運動に加えて市議会の反発もあり、結局米軍への提供区画は市民グラウンドの東側に変更。昭和30年1年間の資材集積場としての利用に
とどまりました。(地域研究史料館蔵)