尼崎競艇場前で街頭カンパ活動を行なう、菜っ葉服姿の組合員と主婦の会メンバー(昭和29年5月16日)。 尼鋼争議では従業員家族による「主婦の会」が結成され、積極的に闘いに参加しました。闘争資金獲得のため行商隊やカンパ隊が組織され、地域に出て主張を訴えます。 争議支援の声は、他労組や商業者、農協といった各界諸団体にまで広がっていきました。その闘争スタイルは、当時の総評中央・高野実事務局長が提唱する「高野路線」 「地域ぐるみ闘争」の典型例と評されました。