昭和24年12月、杭瀬工場内に関連会社の中島電気自動車(株)が設立され、 同29年2月には中島運搬機製造(株)となります。国内工業用バッテリーカー 製造の最大手でしたが昭和42年に高槻市に移転。残った中島製作所杭瀬 工場は、昭和50年代半ばに廃止されました。写真は、中島運搬機製造の会 社案内に掲載された昭和32年製・日本初のサイドフォークリフト。新三菱工 業(株)に納品された製品です。