昭和50年代には稲刈りと脱穀〔だっこく〕を同時に行なうコンバインが普及しますが、市域ではすでに、
これを使用するほどの規模で米を作る農家はわずかでした。福田さんが平成3年当時耕作していた、
阪急武庫之荘駅にほど近い南武庫之荘1丁目の田んぼでの、農作業の様子です。すぐ横に道路や
マンション、商業施設が迫っているのがわかります。