お陰踊り

おかげおどり
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1830年(文政13=天保元)3月から2か月にわたってお陰参りが全国的に大流行し、5月末ころから河内の農村でお陰踊りがはじまった。河内・大和で大流行した踊りは越年して山城・近江・丹波に広がり、摂津では1831年(天保2)3月ころから伊丹・池田方面で大流行した。尼崎・西宮では6月に入って流行しはじめ、8月中旬までさかんに踊られた。東富松では、近くの時友友行などに続いてまず子供たちが、ついで親たちも加わって毎夜踊るようになった。踊りの場所は氏神境内だけと一時は村中で決めたが、若者たちは大坂の願人坊主に振り付けを頼み、6月中旬、三味線・太鼓などの伴奏とともに6連の踊りが村外に練り出した。大津絵節や各種の歌があり、長洲や小松(現西宮市)、尼崎城下まで踊り込んで酒・果物・金銭などの進物をうけている。踊りの経費の記録が他の村々にも伝えられており、村中で準備を整えて踊りを催した様子がうかがわれる。

執筆者: 地域研究史料館

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