郡是製糸塚口絹製品工場
(グンゼより転送)
昭和初期の世界恐慌前後、アメリカではレーヨン流通に押されて生糸価格が大幅に下落し、日本の生糸輸出産業は苦境に陥った。これに危機感を持った郡是製糸(株)は、絹製品の新たな市場を求め、欧米をはじめ世界的に需要が高いフルファッション靴下に着目し、1933年(昭和8)9月12日(同社社史による、ただし「8月」と記述している個所もある)、初のフルファッション婦人絹靴下製造工場設置を決定した。立花村塚口字西塩辛(現塚口本町4丁目)に塚口工場を設立することとなり、建設中の1934年年3月7日、名称が塚口工場から塚口絹製品工場に変更された。同年4月19日、同工場の一部を賃借していた(株)林大作商店の撚糸工場を買収し、8月から生糸撚糸製造を開始。同年12月28日(同社社史による、ただし「10月」と記述している個所もある)フルファッション靴下の生産を開始した。1935年7月8日、郡是製糸は製糸と靴下製造を分離経営するため郡是繊維工業(株)を設立し、8月8日、同社に塚口絹製品工場の設備を譲渡した。戦時体制下、不要不急とみなされた繊維製品製造施設の軍需転換が推進されるなか、郡是製糸が1943年3月1日に郡是繊維工業を合併した結果、同工場は郡是製糸塚口工場となった。同工場は三菱電機伊丹製作所の協力工場として航空機部品組立に転換し設備を供出、靴下製造を全面的に停止した。戦後は1945年12月に操業を再開。1952年には生産の中心を絹靴下からナイロン靴下に転換し、1963年にはシームレス靴下生産への転換を開始、1964年にはフルファッション靴下生産を完全に終了した。1967年2月1日、郡是製糸はグンゼと改称。1969年前後に日本におけるパンティストッキングの流行が始まると、国内のシームレス靴下生産メーカーはこぞってパンティストッキング生産へと転換し、グンゼもこれにならった。しかしながら、国内パンティストッキング生産の急増と韓国を中心とする海外製品の流入から供給過剰となり、グンゼは生産体制の見直し・縮小を迫られる。こうしたなか、1972年10月7日に塚口工場は閉鎖され、1983年7月31日をもって廃止されるに至った。跡地は西武百貨店関西とグンゼが共同で開発し、1985年9月27日、西武塚口ショッピングセンター「つかしん」が開業した。
2004年(平成16)5月9日、つかしん西武が閉店し、西武が経営から撤退した。この結果、グンゼグループが運営主体となり、2006年4月29日「グンゼタウンセンターつかしん」として新装オープンした。
参考文献
- 『郡是製絲六十年史』 1960
- 『グンゼ株式会社八十年史』 1978
- 『グンゼ100年史』 1998