一九区制
じゅうきゅうくせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1872年(明治5)8月2日、兵庫県(第2次)ではそれまでの五〇区制を廃し、原則として2~3の旧区を合併して全県を19区に改編した。尼崎市域は第7~12区に分属した。区にはそれまでの戸長にかわって区長が置かれ、区は管轄区域が拡大したこともあって県の下部行政機関としての性格を強くもつことになった。区には区会が設けられ、そのため区長の事務取扱所は会議所・議事所・事務局などといわれた。当時全国的に実施されていた大区・小区制に比較すると、兵庫県の一九区制は大区に相当するものであったがその下に小区を設けず町村を末端行政単位としたのが特徴的で、これは三新法の理念を先取りしたものであった。しかし区が村の戸長を統括するのは不便であったので、実際には小区が設けられた場合もあった。郡区町村編制法の施行にともない廃止された。