一桜井亀文

いちおうせいきぶん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1742年(寛保2)5月26日 - 1805年(文化2)12月10日

  尼崎藩主松平忠告の俳号。忠告は若くして、大坂鰻谷の商家に生まれ、のち江戸談林七世となった谷素外に師事して俳諧を学んだ。18世紀後半ころから俳諧に嗜みをもつ大名も少なからず出ている。本多清秋(伊勢神戸藩主)その子其香、松平不昧(出雲松江藩主)その子露滴斎、不昧の弟雪川、酒井忠仰(播磨姫路藩主)の子抱一、真田菊貫(信濃松代藩主)、酒井凡兆(出羽庄内藩主)などがその例である。亀文とこれら大名との交流については詳しくは知られない。亀文は書画も巧みであったと伝えるが、俳人としての亀文の作品は1774年(安永3)師素外が編んだ『俳諧名所方角集』に早くみえる。松平氏の江戸下屋敷(本所深川新大橋東)内の池は芭蕉の名句「古池や蛙とびこむ水の音」ゆかりの古池とされ、『俳諧名所方角集』には素外の「古池や蛙若やく庭の艸」などこの古池にちなんで作った句のなかに「古池の昔語となく蛙」という亀文の一句ものせている。亀文の作品をのちに集めて編んだ句集『一桜井発句集』がある。『一桜井発句集』は二世桜井亀幸を号した忠告の嗣子忠宝が、亀文生前の句のなかから159句をえらび、四季に類別して編み、91歳の素外の跋を付して1822年(文政5)に刊行したものである。

執筆者: 竹下喜久男

参考文献

  • 岡本静心『尼崎藩学史』 1954 尼崎市教育委員会・尼崎藩学史出版協会
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