一遍
いっぺん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1239年(延応元)2月15日 - 1289年(正応2)8月23日
時宗の開祖。智真ともいう。伊予の豪族河野氏の出身。はじめ延暦寺で天台宗を修めたが、やがて浄土宗に帰依し、時宗をひらいた。世俗も教学も捨てきって、ひたすら念仏を唱えることを説き、諸国を遊行しながら布教したので、遊行上人ともよばれた。その布教形態は、人びとに念仏往生の礼を配り、踊念仏をすすめ、神社信仰を重んじるという庶民的なものであったから、武士・農民のあいだに広く信者をえた。四天王寺・住吉神社への参詣をはじめ摂津国でも布教しており、尼崎へは1287年(弘安10)春にきて勧進したと伝えられる。また、1289年(正応2)8月に、兵庫和田岬の観音堂(のち真光寺)で寂する直前に、西宮神社の神主に十念と数珠を授けて結縁している。
参考文献
- 大橋俊雄『一遍』 1983 吉川弘文館