万多羅寺
まんだらじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
園田地区の旧村名。市域北東部に位置する。万陀羅寺・曼多羅寺・曼陀羅寺と記す史料もある。御園古墳がある。史料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」。
近世初期には幕府領または旗本梁田〔やなだ〕氏(正勝系)知行所・下野国壬生〔みぶ〕藩(のち上野国高崎藩)松平氏領、1711年(正徳元)に村の大部が近衛家領となり、小部は幕府領または前記松平氏領・丹波国篠山藩青山氏領であった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に293.061石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に301.222石とある。また1701年「元禄14年万多羅寺村差出し帳」(『尼崎市史』第5巻)には家数46軒、人数237人とある。三平井組に属した。氏神は素盞嗚神社(近世には牛頭天王社)、寺院は浄土真宗興正寺派正福寺、ほかに近世には同宗同派正善寺があった。
同村と南隣の岡院とは飛び地が錯綜しており、境界が定めがたく地籍編制に差し支えるという理由で1881年(明治14)12月28日に合併して御園〔みその〕となった。合併後の1909年の陸地測量部地形図では、旧万多羅寺の集落が御園、旧岡院の集落が岡院と記されている。御園は1982年(昭和57)~1991年(平成3)の住居表示により御園および、塚口本町の一部となったほか、一部が東塚口町・上坂部・口田中となった。