三ツ又井組
みつまたゆぐみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
三ツ又井を利用する井組。田能・椎堂・富田・穴太・法界寺・中食満・下食満の7か村で組織されていた。井組結成の時期は不明だが、1636年(寛永13)・1669年(寛文9)に大井組が猪名川筋川辺・豊島〔てしま〕郡村々との間におこした水論の時、すでに井組は結成されていたと考えられる。1727年(享保12)の三ツ又井組定めは井元の田能村に対する下流6か村の結束を強調しており、1740年(元文5)の組内の水論は田能村が1日1夜の番水取決めを無視したことから生じた。田能村が井親との文言は見られないが、同村の権限が大きい。はじめ田能村1村の用水であったところに下流の6か村が加入して、井組が結成されたのではなかろうか。