三善清行意見封事

みよしきよゆきいけんふうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  神崎川河口の河尻の港など、摂津・播磨の内海沿岸の「五泊」の名称がみえる初見史料。三善清行は菅原道真と同時代の漢学者で、文章博士・大学頭となり、延喜格式の編さんにも加わった。914年(廷喜14)、醍醐天皇の命により、時の政治を論じた意見書(意見封事)を上呈し、12か条にわたって律令政治衰退の現状と対策を述べた。そのうち播磨の魚住泊を修復するよう申請した箇条に、播磨の檉生〔むろお〕(室)泊・韓〔から〕)泊・魚住泊、摂津の大輪田泊とならんで河尻の名がみえるが、清行によると、これら五つの泊は「舟船海行の程」がいずれも「一日行」であって、みな行基菩薩が行程を計って、建設したものであったという。当時は公家が魚住泊を修造しなかったので、韓泊と大輪田泊の間を「一日一夜」で航行する公私の船が、たびたび「漂没」したらしい。

執筆者: 戸田芳実

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