三好義賢
みよしよしかた
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
戦国時代の武将。三好長慶の弟。法名実休。幼名千満丸。之康・之虎とも名乗り、官途は豊前守。長慶の国元代官として阿波守護細川持隆を扶〔たす〕け、1539年(天文8)には伊予に河野氏を攻め、1546年から翌年にかけて長慶援助のため畿内に出兵、同、1547年の舎利寺(現大阪市生野区)合戦では河内守護代遊佐長教の軍に大勝した。1553年には主君の持隆を殺して阿波を固め、持隆の侍女小少将〔こしょうしょう〕を妻とした。1558年(永禄元)8月にも淡路水軍を率いて兵庫・尼崎に上陸し、このとき大覚寺に禁制を掲げている。1560年には河内攻めに参加して10月飯盛・高屋両城を陥し、高屋城主となった。終始兄長慶を助けて軍事に才を見せたが、1562年和泉久米田(現岸和田市)の合戦で根来の鉄砲隊に攻められて敗死した。