三平伝説

さんぺいでんせつ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  猪名川下流の井組の一つである三平井の成立にかかわる伝説。三平井は、川辺郡下市場村の地先に取樋口を設け、万多羅寺田中岡院上坂部など8か村約2,500石の村々の用水として利用されてきたが、同一水系の最大の井組である大井組と近世初頭からしばしば水論を繰り返した。この伝説は三平なる人物が4斗樽を配してひそかに引水し、その責を負って死んだとするが、1592年(天正20)5月に三平井組と大井組が、槍・長刀などを用いて一揆の様相を示す争闘を展開し、6名が即死、前田玄以の裁断で庄屋7名が処刑されたと後の文献が記録している。伝説では三平を個人名とするが、井名に因んで犠牲者を総称したものとみられる。御園〔みその〕地区に1932年(昭和7)ごろ建てられたと思われる石造三平記念碑があり、毎年5月17日に供養法要が営まれている。近世村落の形成にともなう新しい水系争論にかかわる伝説の一つである。

執筆者: 酒井一

参考文献

  • 酒井一「摂津猪名川筋三平伝説の歴史的考察」『地域史研究』第1巻第2号 1971

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