三番定専坊
さんばんじょうせんぼう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
摂津国西成郡三番村(現大阪市東淀川区)にあった戦国時代の浄土真宗寺院。同坊は神崎川以東の一向一揆の拠点とされるが、詳細は不明。ただし、橘御園荘内生島村にあった西教寺が定専坊門徒の開いた道場であったり、永録年間(1558~1570)に大物へ移転していることなどに定専坊の勢力の一端がうかがえる。当坊は野田・福島の地、淀川尻にあたる中津川・天満川の間に位置する要衡の地にあった。濠を深く掘り、塁壁を堅固にし、鐘楼を設けた城構えの御坊であった。当坊は楠木正儀の子正勝が建立したとされ、また楠木正具〔まさかず〕(永禄ごろの人物)が伊勢から移住してその法灯を継いだともされている。定専坊支配の末寺は60か寺におよぶ勢力があった。なお現在、定専坊は大阪市北区天満に移っている。