上坂部
かみさかべ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
園田地区の大字。市域中央部やや北東、久々知をはさんで下坂部の北西に位置する。上坂部の史料上の初見は1617年(元和3)「摂津一国高御改帳」(『尼崎市史』第5巻)。なお坂部は南北朝時代から史料に見える地名である。
近世には1599年(慶長4)旗本船越氏(維貞系)の知行所となり明治に至った。村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」のいずれにも1,405.25石とあり(「摂津国絵図」は「坂辺村」と表記)、1685年(貞享2)ころ分かれた枝村の森を含んだ高が記されている。三平井組に属した。氏神は式内社の伊佐具神社、寺院は浄土真宗本願寺派西正寺。明治期に上阪部と記される例があるのは、大坂が大阪とされたのと同様であろう。
1889年(明治22)以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1891年に川辺馬車鉄道の塚口停車場(現JR塚口駅)が開設された。1970年~1988年の住居表示により上坂部および、南塚口町・東塚口町の一部となったほか、一部が御園〔みその〕・塚口町・塚口本町・久々知・若王寺〔なこうじ〕となった。