1826年(文政9)、下坂部村の旗本青山氏(幸高系)知行所庄屋であった沢田猪兵衛は、前任者の役儀御免の跡を受けて、大庄屋代官役を命じられ、居宅がそのまま代官屋敷・陣屋となった。旗本青山氏(幸高系)の川辺・武庫2郡にある知行所村々(下坂部、中・高木-現西宮市。いずれも旗本青山氏(幸正系)と入組)3か村のまとめ・年貢勘定ほか諸事について、代官役所として機能し、明治まで続いた。しかし幕末には、領主からの兵賦人足徴用の命令にも農民の抵抗があり、地方代官沢田氏の判断により徴用する員数の手配にも配慮せざるをえないまでになっていた。
執筆者: 山下幸子
参考文献