不在地主
ふざいじぬし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
小作地の所有者でその小作地の所在村(大字)外に居住するもの。近世においても、新田地主は別として、村外に小作地をもつ地主は部分的には存在したが、明治中期以降地主制の発展とともに隣接村のみでなく遠隔の都市在住の不在地主が多くなった。たとえば1888年(明治21)尼崎町・小田村・園田村のほとんどの大字に、大阪市・尼崎町・伊丹町の都市居住者約200人がこの地域の総耕宅地の22%に相当する359町を所有していたが、1916年(大正5)にはそのうち小田村の不在地主は人数、所有面積とも約2倍になった。同村大字久々知ではすでに1899年大阪・尼崎の不在地主が耕地の70~80%を占めていたという記録もある。尼崎での大きい不在地主の例は大阪市の尼崎伊三郎(尼崎本店汽船部・耕地部の店主)で、立花村・小田村・園田村のみで115町余を所有、また尼崎町の本咲利一郎(尼崎銀行頭取など)は約90町を所有した。これらの大不在地主は小作料徴収・小作地管理のために名大字ごとに有力な上層農家を名代人に委嘱していた。第2次大戦後の農地改革では、不在地主には在村地主に認められた保有地は認められず、不在地主の小作地はすべて国家買収の対象となった。