中学校(新制)
(中学校より転送)
第2次世界大戦後、学制改革によって就学義務化した「新制中学校」は、国家予算の財政的裏付けのないまま、1947年(昭和22)4月逐年方式で発足。本市では、城内・竹谷(現昭和)・小田(現小田南)・大庄(現大庄東)・立花・武庫・園田の7中学校(学級数85、生徒総数4,059人、うち非義務制26学級)を設置、小田中学校を除いて小学校等を仮住まいに同年5月2日から授業開始。市では、国の補助・起債とその不足分は市民の協力を得て新校舎の工事にかかり、1950年3月、城内・昭和・小田南・小田北・大庄東・大庄西・立花・武庫・塚口・園田の10中学校が独立校舎となる。戦後人口の自然増と本市の生産都市として発展による人口の急増で児童・生徒数も増加し、1952年には明倫中、1958年若草中新設、そのピーク時(1962年)を前後に1960年育英・日新・啓明、1961年大成・大庄北、1963年園田東の各中学校が新設され18校となる。
さらに、市の北部人口増により、1972年南武庫之荘、1976年小園・武庫東の各中学校、1982年には常陽中の新設や、校区再編成と校舎増設が行なわれ、1994年(平成6)5月市内中学校は25校(公立23、私立2、城内中には夜間分校)生徒数は14,571人となった。
2007年(平成19)5月現在、公立中学校19校(成良中に琴城分校)、私立2校、公立中学の生徒数は10,176人である。
2002年(平成14)1月に策定された「学校適正規模・適正配置推進計画」により、2005年4月、城内・育英中学校が統合し成良中学校(当初は旧城内中学校を仮校舎として使用していたが、2007年4月に旧育英中学校跡地に校舎を新設)、明倫・昭和中学校が統合して中央中学校となった(旧明倫中学校を本校舎として使用)。2006年4月には大庄東・大庄西中学校が統合して大庄中学校創立。現在は大庄西中学校を仮校舎として使用している。
参考文献
- 『尼崎市戦後教育史』 1974
- 『続尼崎市戦後教育史』 1993