中山寺
なかやまでら
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
宝塚市中山寺2丁目にある。真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。本尊は十一面観音(平安前期、重要文化財)。聖徳太子の創建と平安時代から伝承されている。1105年(長治2)中山寺に納めるために書写された大般若経が伝わっている(加東郡社町馬瀬・上鴨川両住吉神社現蔵)など平安中期には屈指の寺院で、ついで西国三十三所観音霊場の札所(第24番)となり、天皇・公家・武家から庶民にいたるひろい信仰をあつめた。当初は天台宗寺院。中世にたびたび兵火をうけ、天正(1573~1592)の兵火ののち寺地を移したといわれ、古伽藍図を蔵している。1603年(慶長8)豊臣秀頼が復興し、寺領の寄進も行なわれた。現在、3万余坪の境内には大門・本堂・護摩堂(以上、県指定文化財)、太子堂・大師堂・鐘楼などがあり、特に安産祈願の観音として名高い。寺宝は他に薬師如来坐像・大日如来坐像(ともに重要文化財)などがある。御詠歌は「野をもすぎ里をもゆきて中山の寺へまいるは後の世のため」である。
参考文献
- 『宝塚市史』第1巻1 1975・2 1976