中島水道
なかじますいどう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
神崎川と淀川・中津川にはさまれた北中島のうちとくに水はけの悪かった22か村(現大阪市東淀川区、淀川区)が悪水排除のため掘った水路。1678年(延宝6)完成、全長2里10余町、増島村の新太郎松樋を起点に19か村を経由して申新田(現此花区)で海に流した。幕府は22か村から開削願いを許可したものの、幕府領村々では工費・水路敷地代米などすべて百姓の負担とした。私領村々では領主負担が原則だったので1689年(元禄2)幕府領16か村代表を江戸におくり、7か月にわたって地代米免除・維持経費公儀負担を嘆願したが認められなかった。「百姓普請」に苦しみながらも建設、維持された水道も1965年(昭和40)ころから埋め立てられて姿を消した。
参考文献
- 『東淀川農協25周年記念事業誌』 1974 大阪市東淀川農業協同組合