中浜新田

なかはましんでん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  道意新田の地先に開発された新田。尼崎藩領でもとは武庫郡に属した。道意新田が1760年(宝暦10)に開発を出願し、1766年(明和3)許可されたが開発は難航、1772年以降に藩の命を受けて城下東町・平野屋寒と中在家町・船屋治兵衛が開発を開始し、1782年(天明2)に検地高50石で高入れした。検地帳には東西254間半、南北平均38間、面積11町7反21歩とあり、名請人は中在家町となっている。地親は開発者の両名で、その後所有権はいく度か転売された。当初は道意新田の庄屋の支配を受けたが、1822年(文政5)分村出入りがおこり'24年の和解で中浜新田の独立性が大幅に認められた。

  1889年(明治22)以降は大庄村1942年(昭和17)以降は尼崎の大字となった。1930年尼崎築港会社が築港計画の皮切りとして中浜新田および地先の埋め立てを開始し、以降は尼崎製鋼所日亜製鋼中山製鋼所尼崎工場などが立地する臨海工業地帯となった。1949年の土地区画整理で中浜町となり、地先の埋立地が鶴町、一部が大浜町となった。

執筆者: 地域研究史料館

案内
広告
検索

  
ヘルプ
ツール
索引