中長洲
なかながす
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
小田地区の大字。市域南東部、中国街道沿いに位置した。近世初頭は長洲村に含まれており、1615年(元和元)池田重利の領地となり、1617年(元和3)尼崎藩領となった。青山氏(幸成系)が尼崎藩に入封した1635年(寛永12)以降、長洲村が中長洲・東長洲・西長洲・大物の4村に分けられたものと考えられる。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」に320.3石とある。また、天和・貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には家数54軒、人数326人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には54軒、215人とある。大井組に属した。氏神は天満神社(近世には天神宮)、寺院は浄土真宗本願寺派称仏寺。さらに近世には真言宗高野山大聖院末海臨寺があり、長洲海臨寺跡天正8年一石五輪塔が残っている。また長洲天満神社本殿は兵庫県指定重要文化財となっている。
1883年(明治16)8月15日、東長洲と合併して長洲村となり、1889年以降は小田村、1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。1874年(明治7)には官設鉄道の神崎ステーション(現JR尼崎駅)、1912年には尼崎支線の金楽寺駅(1981年・昭和56廃止)が開設された。長洲は1955・1957年の土地区画整理と1986年の住居表示により長洲西通・長洲本通・長洲中通・長洲東通となったほか、一部が杭瀬北新町・金楽寺町・潮江・浜となった。