丸島築港計画
まるしまちっこうけいかく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
明治末年神戸の鈴木商店が所有していた武庫川尻東岸の丸島から防波堤を築いて尼崎港西突堤との間360mを港口とし、港内を浚渫してその土砂で6万3,500坪を埋め立て臨海工場地を造成しようとした計画。この計画が発表されると、尼崎港の繁栄が奪われるとして尼崎町内に強い反対論が起こった。そこで丸島築港側から大高洲新田の地先9万坪を埋め立て南港を統合する新しい案が出され、これについて1912年(大正元)9月の町会で可決されたが、なお町内の反対論が強く、町民大会を開くなど反対運動がつづいた。さらに大庄村の日本リーバ・ブラザーズのイギリス本社が入港税徴収に反対したので、県は国際問題に発展することを恐れて消極的となった。まもなく第1次大戦となり、資材の入手難、工事費高騰のために事業は挫折した。その後1927年(昭和2)の金融恐慌で鈴木商店が倒産し、この計画は消滅した。
参考文献
- 岡謹一郎『丸島築港世論』 1920 丸島築港創立事務所