享保の飢饉
きょうほうのききん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1732年(享保17)九州・四国・中国・近畿にイナゴが大発生して大凶作となり、飢人(幕府調査約200万人)、餓死者(同前約1万2,000人)が発生した。尼崎藩領では7月下旬から稲に虫がつきはじめ、8月下旬には3万石余の田に被害が及び、1万7,000石余の減収になったという。幕府は、関東・東海道筋その他から大坂に米を回送させ、尼崎藩松平氏ほか畿内近国11大名に城詰米(幕府御用米)の半分を大坂に送るよう命じるなど対策を講じたが、各地で強訴・一揆・うちこわしが発生した。市域村々でも1732年末から飢人が発生し、救助合力のため米・麦のほか小米・酒糟〔さけかす〕・すぐり藁までが給されている。西新田村では毎日30人に小麦1合ずつを1733年4月まで給した。