伊丹廃寺
いたみはいじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
伊丹市緑ヶ丘4丁目・7丁目(旧北村南良蓮寺・北良蓮寺)にあり、8世紀前半から13世紀末ごろにかけて存在したと推定される寺院跡。国指定史跡。伽藍〔がらん〕配置は法隆寺式で、東西150m、南北130m以上の広さになり、東の金堂と西の塔をめぐる回廊のほか、金堂の真北に講堂がある。回廊の北方西寄り、北東および東にそれぞれ掘立柱〔ほったてばしら〕建物がある。僧房その他の施設であろう。金堂の基壇は東西21m、南北16mで、平瓦と栗石を交互に積みあげている。階段は南に2か所、北に1か所というあまり例の知られていない配置である。周囲から金箔のついた漆喰〔しっくい〕壁や塼仏〔せんぶつ〕が検出され、堂内の装飾をしのばせる。塔は方13mの瓦積み基壇で、階段は南に1か所である。塔の最上部に取り付く相輪〔そうりん〕部のうち、銅製の水煙〔すいえん〕・九輪〔くりん〕・風鐸〔ふうたく〕などが検出された。講堂の基壇はほとんど削平されているが、地覆〔じふく〕に栗石を用い、東西23m、南北14.5mである。なお、金堂基壇の西縁を利用して12世紀後半から13世紀ころに瓦窯〔かわらがま〕3基が築造された。焼亡した堂宇の再建時のものである。近年の調査で、伽藍の東に隣接して創建と同時期の掘立柱建物群があり、中世にかけて伽藍の北方にも寺院関係施設が存在したことが判明した。出土品は伊丹市立博物館に収蔵されている。
参考文献
- 高井悌三郎『摂津伊丹廃寺跡』 1966 伊丹市教育委員会