伊丹氏

いたみし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  摂津国伊丹城(現伊丹市)に拠った国人の一族。「山槐記」治承4年(1180)11月23日条に「伊多美武者所某」と見えるが、のちの伊丹氏の先祖に当たるかは不明。伊丹氏には、1315年(正和4)六波羅の命で幕府使者となった伊丹左衛門三郎親盛がある。この後畠山国清に就いた佐衛門四郎宗茂、「太平記」の伊丹大和守があり、伊丹城を拠所とした。その後伊丹氏歴代の名が史料に現われる。「新撰菟玖波集」の伊丹兵庫元親・之親は細川氏被官文明年間(1469~1487)春日社領武庫荘の代官をした伊丹親時は伊丹兵庫の弟。「実隆公記」には伊丹大和守の名がある。細川高国被官に兵庫助のち大和守(元扶)と兵庫助(国扶)がある。その後細川晴元被官に大和守親興、尼崎本興寺に禁制を残す兵庫頭忠親がある。伊丹氏は、1574年(天正2)荒木村重に攻められ伊丹城が落城、滅亡したと伝えられる。

執筆者: 森田恭二

参考文献

  • 『伊丹市史』第1巻 1971・2 1969
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