伊居太神社(池田市)
いけだじんじゃ(いけだし)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
池田市綾羽2丁目、五月山西端の高台にある旧郷社。穴織〔あやは〕神社とも秦上〔はたのかみ〕社とも呼ばれ、池田地方の産土的神祠であるが、その成立は複雑である。社伝では「日本書紀」応神41年に記す倭漢〔やまとのあや〕氏の祖・阿知使主〔あちのおみ〕らが呉国から連れ帰った織女(穴織〔あやはとり〕・呉織〔くれはとり〕ら)が、この地で機織の技術を伝え、没後穴織をこの社に祭るとするが、史実ではなく、平安中期以後秦氏に代わってこの地を開発した倭漢氏の後裔坂上〔さかのうえ〕氏の氏族伝承にもとづく後世の付会である。その経緯としては室町初期にこの地を支配した国人領主池田氏が、もともと秦氏の神祠があった五月山西端に、先住の坂上氏のためにその氏族伝承に見える穴織を祭り、さらに自家の氏神として河辺郡の式内伊居太神社を遷祀冒称したと思われる。社には古くから塚口村への神幸を最大の神事とする記録があり、元の伊居太神社は塚口村小字山廻の池田山古墳(大正年間に削平)の地にあったと考えられる。
参考文献
- 小野寺逸也「式内伊居太神社の所在地比定をめぐる諸問題」『地域史研究』第7巻第2号 1977
- 『池田市史』各説編 1960
- 松下煌「伊居太神社・呉服神社」『日本の神々』第3巻 1983 白水社