伊達尊親
だてそんしん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1847年(弘化4)12月15日 - 1903年(明治36)4月20日
元高(維新前の禄高)50石の尼崎藩の中位の藩士。1876年(明治9)兵庫県第九区二番組(築地町・中在家町)戸長、さらに1878年3月以降は単独戸長役場制の尼崎町戸長となっていたが、1889年町村制施行とともに一級尼崎町会議員に当選し同時に初代町長に選出された。しかし町会内の東町・西町両派の対立のなかで就任2か月で町長辞任、以後町会議員として活躍。また1887年には川辺馬車鉄道の設立発起人の一人となり、1890年には創立委員副長、1892年には社長となり、馬車鉄道を完成させた。馬車鉄道が摂津鉄道に吸収された後も社長に就任したが1894年辞任。尼崎紡績の発起人にも加わり同社の創立願書には町長として副申書を添付している。1896年の遊廓設置問題では出願者の一人であったが、1902年には琴浦育児院院長の福島守三郎とともに阪神慈善会の出願者となるなど尼崎の有力者として多方面に活躍した。