大阪チタニウム製造
おおさかチタニウムせいぞう
(住友シチックス尼崎より転送)
(住友シチックス尼崎より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
大阪チタニウムの前身は、1937年(昭和12)石塚幸次郎によって大阪市大淀区に創設された大阪特殊製鉄所で、鉱滓や硫酸滓から電気銑をつくる月産120トンの銑鉄工場であった。1938年、同社は尼崎試験所を東浜に建設し、翌1939年1月には月産千トンの主力電気銑工場となった。
戦後1950年、同製鉄所は量産によるコスト低減を狙いとして、新たに電気銑製造設備を建設、資本金500万円の株式会社に改組する。しかし、高炉銑との競争などにより目論見がはずれたため、翌1951年から技術部長石塚博を中心に、金属チタンの研究に方向を転換、1952年には住友金属工業(株)の出資を得て、資本金1億円の大阪チタニウム製造(株)として新発足した。日本での金属チタンの工業生産を行なう試験工場(月産1.5トン)の始動であった。1954年には月産25トンの工場が完成、以後急激に生産を拡大してゆく。1955年には資本金6億円に増資、大阪証券取引所に上場した。その後、1960年から手がけた高純度シリコンの生産比率が高くなったため、1993年1月には住友シチックス(株)と改称した。なお、金属チタン工業化の基礎を据えた石塚博は、1953年袂を分ち、別に東邦チタニウム(株)を興した。
1997年、新たに設立された(株)住友シチックス尼崎に尼崎の事業部門などが営業譲渡され、住友シチックスは1998年に住友金属工業に合併。(株)住友シチックス尼崎は、2002年住友チタニウム(株)に社名を変更、ついで2007年には(株)大阪チタニウムテクノロジーズへと変更し、旧称の「大阪チタニウム」が復活した。
参考文献
- 『30年史』 1983 大阪チタニウム製造