住友工業学校
すみともこうぎょうがっこう
(住友工業高等学校より転送)
(住友工業高等学校より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1915年(大正4)大阪市港区に住友家の私財で企業内に学校を設立した養成訓練を行なうため開設された財団法人住友私立職工養成所を母体として、1942年(昭和17)住友工業学校(5年制生徒定員450人、機械科)が開校。1945年3月大阪空襲で校舎焼失、住友金属製鋼所青年学校に仮移転、再度の戦災で大阪府立市岡中学校の校舎を借用し授業を再開、終戦後住友金属工業吹田支所に仮移転、1946年1月現在の尼崎産業高等学校敷地内(東難波〔なにわ〕町2丁目)にあった住友金属甲東青年学校跡地に移転、生徒定員500人(1学年100人)に改正し、1947年には住友中学校を併設、学制改革によって1948年学校法人住友工業高等学校(生徒定員機械科240人、1学年80人)として発足。1951年機械科・定時制課程を併置したが、戦後の再建途上経営上の諸事情もあって1956年3月尼崎市に移管。4月には市立尼崎商業高等学校と合併、機械・電気科の併設とともに、商工融合の新産業教育をめざした市立尼崎産業高等学校に移行した。
2011年(平成23)4月1日、市立尼崎産業高等学校と市立尼崎東高等学校を発展的に統合して、新たに市立尼崎双星高等学校が水道局旧北配水場跡地に開校した。
2015年7月1日、東難波町2丁目の尼崎産業高等学校跡地に、兵庫県立尼崎病院・塚口病院を移転・統合して県立尼崎総合医療センターが開院した。
参考文献
- 『尼崎市立尼崎産業高等学校10年史』 1966
- 『創立20周年記念学校資料集成』 1976 尼崎産業高等学校
- 『創立30周年記念 あゆみ』 1986 尼崎産業高等学校