佐伯部
さえきべ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
大和政権による東国征服にさいして、強制的に畿内もしくはその周辺に移住させられた蝦夷〔えぞ〕によって編成された軍事的部。「日本書紀」の景行天皇51年8月の条に、蝦夷を播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5国に分置したが、これが5国の佐伯部の祖であるという記事がみえる。佐伯部は、佐伯直〔あたい〕を名のるそれぞれの地方の国造級の豪族によって管理され、諸国の佐伯部はまた中央の佐伯連〔むらじ〕に統括されていた。佐伯連は宮城12門を守る、いわゆる門号氏族の一つであったから、佐伯部も佐伯連に率いられて宮門の警衛にあたったのであろう。「書紀」の仁徳天皇38年7月条に、猪名県の佐伯部が天皇に牡鹿を献上したことがみえ、古代の尼崎地方にも佐伯部が置かれていたことが推測される。