保健所
ほけんしょ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1937年(昭和12)4月に公布された保健所法にもとづき、衛生思想の普及啓発と予防医学的指導による環境衛生の改善等を目的として、1939年10月南城内に県立尼崎保健所が開設された。当初職員は医師・薬剤師各1名、指導員・保健婦各3名ほか合計10名。1939年度までに設置された保健所は全国で108か所にとどまっており、工業都市である尼崎市への設置の必要性が認められたのであった。1948年7月には市に移管されて尼崎市保健所となり、1951年10月には東難波〔なにわ〕4丁目に新築移転した(現中央保健所)。さらに戦後は市内各所に新たに施設が設置され、1974年以降は4保健所(中央保健所・北保健所・東保健所・西保健所)・2保健支所(北保健所園田支所・北保健所武庫支所)となっている。
1999年(平成11)4月1日、4保健所・2保健所支所体制から、全市を所管区域とする尼崎市保健所(従来中央保健所があった東難波町4丁目に置く)を設置し、1保健所・6保健センター(中央保健センター・小田保健センター・大庄保健センター・立花保健センター・武庫保健センター・園田保健センター)とする再編が行なわれた。2006年4月1日、市内6ヶ所の保健センターを立花駅南側フェスタ立花南館5階(七松町1丁目)の保健所に集約し、各支所に地域保健担当を設置する再編が行なわれた。