1865年
(元治2年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1840年代 1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 |
周辺の年: | 1862年 1863年 1864年 1865年 1866年 1867年 1868年 |
慶応元年
- 4月 - 尼崎藩は生魚問屋仲間に魚市場での相対売り禁止を申し渡した。7月29日問屋上積中・瀬越中・伏見行きの者へも同様申し渡す。
- 5月17日 - 大坂町奉行所は、残念さんとして信仰を集めていた長州藩兵山本文之助の墓への参詣を禁止した。
- 5月20日 - 摂津・河内両国の1,263か村は、御用油の摂河農民引請け・正当な種物相場の実現を大坂町奉行所に訴えた。
- 5月 - 米価・諸物価の高騰により、西宮・兵庫津・神戸・伊丹・池田・大坂に打ちこわしが発生、河内国・和泉国へも波及。
- 閏5月5日 - 幕府の長州出兵にともない、尼崎藩は大聖寺藩に代わって西宮および平左衛門新田から夙川までの間を警備するよう大坂城代から命じられた。
- 閏5月29日 - 洪水のために今北村・守部村支配の武庫川堤が切れ、尼崎城下の町屋・侍屋敷まで浸水した。
- 7月20日 - 尼崎藩主の征長出陣願いが幕府に認められた。
- 11月 - 川辺・豊島両郡村々は、長州征討軍の大坂進発にさいして別所村・神崎村両駅の加助人足を命じられた。