1700年代

元禄17年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 17世紀 - 18世紀 - 19世紀

  10年紀: 1670年代 1680年代 1690年代 - 1700年代 - 1710年代 1720年代 1730年代

  各年: 1700年 1701年 1702年 1703年 1704年 1705年 1706年 1707年 1708年 1709年


  1700年から1709年までの10年間を指す。

1700年代の年表

  • 1701年(元禄14)
    • 1月25日 - 契沖が大坂で没した。
    • この年 - この年刊行の『摂陽群談』に尼崎の名物魚介として鳥貝・煎雑喉などがあげられている。
  • 1702年(元禄15)
    • 3月12日 - 江戸町年寄衆の下り酒書上げ書に江戸積酒の特産地の一つとして尼崎があげられた(摂泉十二郷)。
    • 10月29日 - 尼崎渡海船仲間は、大坂での荷積みを上荷船・茶船仲間から差し止められたことを不服として大坂町奉行に訴えた。翌11月2日、奉行所は訴えが旧規に反するとして却下した。
  • 1703年(元禄16)
    • 3月 - 上食満村は、屋敷内の畑でのたばこ作を半減するよう領主の旗本服部氏から命じられた。
    • 11月5日 - 尼崎藩は不良米・赤米ほかの混入による年貢米の質低下に対して、地米以外の混入の有無調べ、不良品種の植付け禁止など5か条の覚えを触れた。
    • 12月16日 - 神戸・二茶屋村の薪を積んだ尼崎の過書船は、上荷船・茶船沖間に大坂入港を差し止められたので大坂町奉行所へ訴え出た。翌年5月9日三郷総年寄の仲裁により今後は両者で薪材を均分して運ぶことに決まった。
  • 1704年(宝永元)
    • 9月 - 尼崎藩は、年貢皆済前の借銀・借米の返済禁止、村役人の収納米取り込み禁止など8か条の覚えを触れた。
  • 1705年(宝永2)
  • 1706年(宝永3)
    • 4月 - 下食満村と穴太瓦宮法界寺3か村とは三ツ又井溝の堰をめぐる水論について、京都町奉行所手代の調停によって和談証文を取りかわした。
    • 9月23日 - 尼崎藩は、領内から薪木を運ぶ船の大坂入港を解禁するかわりに、尼崎渡海船が大坂から荷や乗客を運ぶことを上荷船・茶船仲間に認めさせた。
  • 1707年(宝永4)
    • 10月4日 - 大地震のために尼崎城の天守・矢倉などが破損し、人家15軒が倒れた。
    • 10月21日 - 尼崎藩銀札通用の停止を領内村々に触れた。
    • 10月 - 幕府が金銀銭札の通用停止を布達した。
    • この年 - 西宮浦に江戸酒積問屋ができた。
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