全労
ぜんろう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
全国労働組合同盟の略称。1930年(昭和5)6月1日組合同盟と全国同盟が大阪で統一して発足(委員長大矢省三、主事上条愛一)。全国大衆党支持で、当時我が国最大の4万2,000人を結集した。尼崎からは藤岡文六・山内鉄吉・山下栄二・福島玄らが役員に就任した。これにともない尼崎における組合同盟阪神連合会(800人)と全国同盟尼崎連合会(700人)は合同し、8月全労阪神地方連合会を創立、紡織・金属・合同・自由の産業別4支部を組織した。1931年9月現在の組織状況は日本紡織労働組合阪神地連700、阪神金属労働組合792、阪神合同労組170、阪神自由労組100、計1,762人で総同盟に匹敵する勢力を保った。1932年秋藤岡らの国家社会主義への転向問題が起きたが、尼崎の全労組織からの離脱は少数にとどまった。1934年11月18日左派の全労統一会議派は日本労働組合総評議会(総評(戦前))と合体して日本労働組合全国評議会(全評)を結成し離脱、その後次第に右翼的傾向を深め1936年1月総同盟と合同して全日本労働総同盟(全総)となった。1939年産業報国会運動をめぐって全総は分裂、全労系は産報運動に組織を解消させた。