全国労農大衆党
ぜんこくろうのうたいしゅうとう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1931年(昭和6)7月5日全国大衆党・新労農党・社会民衆党の一部が合体して中間派無産政党として発足。折から勃発した「満州事変」について帝国主義戦争反対、即時撤兵を要求する声明を発表、反対闘争を計画したが、官憲の弾圧や党内の戦争支持者に揺さぶられ、1932年5月全労の政党支持問題をめぐって分裂した。同年10月現在の尼崎における支持組合は8労組480人、党員は武庫支部(支部長市川弥三郎)105、計215人。尼崎支部長藤岡文六の日本国家社会党への転身にもかかわらず、尼崎市内の支持層の多くは同党・全労本部に踏み止まり、離反は2組合(269人)に過ぎなかった。しかし、全国的に見て全労の分裂は同党に大きな打撃を与え、ファッショ勢力の台頭に揺れる社会民衆党との合同に進んだ。全国レベルでは1932年7月に合同して社会大衆党を結成、尼崎では9月に支部の合同が行なわれた。