全国大衆党
ぜんこくたいしゅうとう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1930年(昭和5)7月20日、日本大衆党と全国民衆党が合同して全国大衆党となり、さらに新労農党が解消派を除名して同年12月同党への合同を決議した。これにともない尼崎でも両者の支持労組である組合同盟と全国同盟が合同して8月に全労阪神地方連合会が創立され、尼崎における同党の支持基盤となった。1931年4月全労久保田支部大会は尼崎全市の麺類・上水道料3割、家賃5割値下げ等を可決し、これらは同党支部連合会に提議され、同党の運動として展開された。1930年12月の全国大会で全無産政党の合同が提起され、社会民衆党は拒否したものの、同党の賛成派を獲得し1931年7月新労農党との合同による全国労農大衆党結成へと進んだ。