全総
ぜんそう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
全日本労働総同盟の略称。1936年(昭和11)1月15日全国労働組合同盟(全労)と総同盟が合体して発足(会長松岡駒吉)、全国に10万人を擁する最大の組織となった。1935年春の大阪港南地方における下部労働者による合同運動の成果とされる。尼崎では1936年9月に両者が合同、尼崎地方協議会が結成された。1935年末における組織現況は総同盟尼崎連合会885人(久保田鉄工所尼崎工場、東洋紡績神崎工場など)、全労阪神地連(阪神金属、合同労組)153人。左派の全評などの合同申し入れを拒否し、日本労働組合会議の中核をなしたが産業報国会運動をめぐって旧総同盟系が労働組合を基盤とすることを主張したのに対し、全労系は解消して合同を主張、1939年7月24日総同盟と産業報国倶楽部に再び分裂した。