公害防止協定
こうがいぼうしきょうてい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
尼崎市では、法・条例による規制・指導に加え、尼崎の地理的・社会的状況に応じたきめ細かい公害防止対策を進めるため、1969年(昭和44)以来市内主要工場と地域ぐるみの公害防止協定を締結し、推進してきた。1969年に締結した第1次協定(対象=62社69工場、3企業団地)や1972年の第2次協定(対象=66社67工場、3企業団地)は、当時の大気汚染の状況を反映して、工場毎の硫黄酸化物排出量の削減を中心にした内容であった。その後、窒素酸化物に係る環境基準の制定等諸情勢に対応すべく、1975年に窒素酸化物をはじめとする大気汚染・水質汚濁・産業廃棄物等の対策を含めた総合的な第3次協定(対象=62社67工場、2企業団地)を締結した。その結果、協定工場の積極的な協力もあって、硫黄酸化物の環境基準を目標より3年早く達成するなど、尼崎の公害対策推進上大きな役割を果してきた。さらに、1983年には時代の変化も踏まえて、窒素酸化物対策の促進等の公害対策に加え、緑・景観といった地域環境の向上を図る項目なども盛り込んだ第4次協定(対象=52社56工場)を締結した。