公職追放
こうしょくついほう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1946年(昭和21)2月公職追放令にもとづき、戦争協力の責任が問われて、尼崎市でも大政翼賛会尼崎・大庄・立花・武庫・園田・各支部長であった八木林作(市長)、平瀬巌若・三松武次郎・高寺善右衛門(以上、市議)、広田山三郎(園田村議)が11月から12月にかけて辞任、市在住の公職追放該当者は1948年8月末現在146人を数えた。このうち47人が在郷軍人会分会長の経歴によるもので、西村亀三郎(市議・協同民主党尼崎支部長)、羽田伊太郎・平松友三(ともに市議)はこれに該当。ほかに憲兵15人、憲兵以外の陸海軍士官71人など。産業報国会・商業報国会・労務報国会各支部長らは資格審査の結果、追放を免れた。追放解除は、1950年10月13・14日~1952年4月28日。