六樋

ろくひ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  中世末から近世初期にかけて武庫川東岸の西昆陽村地内に上流から順に野間樋(富松樋)、生島樋、武庫樋、その下流の常松村地内に水堂〔みずどう〕樋、常吉村地内に守部樋、さらに西武庫村地内に大島樋という6つの武庫川からの取水樋が設けられ、それぞれの井組の村々に用水を供給し、市域の西半部の農業用水はほとんどこれに依存していた。これらの井組内部や井組間には江戸時代を通じてしばしば水論が生じたし、また野間井組(富松井組)とその対岸西宮側にある百間樋井組との間にも武庫川の分水をめぐって争論がくりかえされた。1923年(大正12)に着工された武庫川改修工事(第2期)にさいして、この六樋の合併工事が1927年(昭和2)起工、翌1928年4月完成した。6つの取水樋はすべて廃止、合併した新しい樋門が旧野間樋上流の西昆陽村地内に新設され、この合併樋を管理する武庫川六樋合併普通水利組合が設立された。この新設樋門から取水された用水は、4つの分水槽で分水され、旧来の六樋の慣行にしたがって配水されたが、部分的には旧慣の改められたところもあった。

執筆者: 山崎隆三

  1953年(昭和28)9月25日の台風被害により引水堰が使用不能となったため、河床に集水用の管渠を埋設する工事が県営復旧工事が行なわれ、1955年3月に完成した。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 尼崎市武庫川六樋合併五〇周年記念実行委員会『六樋』 1978
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