兵庫県
ひょうごけん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
第1次
1868年(慶応4)5月23日兵庫裁判所が兵庫県と改称されると同時に、それまで同裁判所の管轄下にあった川辺郡以東の旧幕府領が大阪府に移管され、兵庫県は兵庫津のほか摂津国八部〔やたべ〕・菟原〔うはら〕・武庫3郡の旧幕府領を管轄し、同時に万石以下の旗本・公卿・寺社領の民政も管理し、また裁判所が管掌した外国事務も引き継いだ。県庁舎は八部郡坂本村(現神戸市中央区)に新築、初代県知事は伊藤博文であった。1869年(明治2)8月豊崎県を合併、川辺郡の旧幕府領・旗本領は再び兵庫県の管下のもどった。1870年正月田安領が廃止となり市域の田安領であった猪名寺が4月兵庫県に接収され、10月には飯野藩の摂津の所領が上知となり市域の同藩領である富田・若王寺・岡院の各一部と戸之内が兵庫県に接収された。さらに1871年6月近衛家領が上知となり、市域の同家領である万多羅寺の一部が兵庫県に接収された。
第2次
1871年7月廃藩置県により市域の尼崎藩・小泉藩・半原藩の3藩はそれぞれ県となったが、同年11月20日に布告された府県廃合によりこの3県(半原県はその直前に額田〔ぬかた〕県と改称)が兵庫県に統合され、摂津国西部の川辺・武庫・菟原・八部・有馬5郡一円を管轄する第2次兵庫県が成立。翌1872年1~2月に前記3県の接収が完了した。同年2月尼崎県接収後兵庫県尼崎出張所が設置され、旧藩士が県官に採用された。新県令には神田孝平が任命された。
第3次
1876年8月ふたたび県の廃合が行なわれ、飾磨〔しかま〕県(播磨一円)・豊岡県(但馬一円と丹波の多紀・氷上〔ひかみ〕2郡)・名東県(淡路一円)が兵庫県に合併し、現在の兵庫県となった。9月、飾磨県権令森岡昌純がこの第3次兵庫県の権令に任命された。
参考文献
- 『兵庫県百年史』 1967