兵庫県立尼崎病院
ひょうごけんりつあまがさきびょういん
(兵庫県立塚口病院より転送)
(兵庫県立塚口病院より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1922年(大正11)に市役所の一角に開設された市立尼崎診療所は、1936年(昭和11)北城内の庄下川東岸に木造2階建て、延面積271.69坪の施設を新築し10月県に移管、県立西宮懐仁病院尼崎分院となった。当初は病床数12、診療科目は内科・外科・産婦人科・耳鼻咽喉科であった。1938年4月県立尼崎懐仁病院と改称、増改築の結果1942年には125床となり、小児科・眼科を開設した。1945年3月13日の空襲で罹災。戦後1947年5月に県立尼崎病院と改称、戦災復旧工事に着手し1950年には212床となった。その後も増改築と診療科目の拡充を重ね、1986年10月東大物〔だいもつ〕町1丁目の現在地に鉄骨鉄筋コンクリート造・地下1階地上8階、延面積30,117m2、一般病床数500、診療科目15の施設を新築移転した。
なお、1953年10月に森字野通(現南塚口町6丁目)に開設された塚口分院は、1974年10月県立塚口病院として独立した。
2015年(平成27)7月1日、県立尼崎病院・塚口病院を移転・統合して、東難波町2丁目の市立尼崎産業高等学校跡地に県立尼崎総合医療センターが開院した。
参考文献
- 『30年のあゆみ』 1966 県立尼崎病院
- 『兵庫県立尼崎病院50年のあゆみ』 1986