兵庫県農民連盟

ひょうごけんのうみんれんめい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1938年(昭和13)2月20日に日本農民連盟系統の農民団体として創立した。全農全国会議兵庫県連合会の流れをくむ全農兵庫県連合会は、1938年1月に社会大衆党兵庫県連から排除された。こうした事態のなかで、稲村隆一の働きかけに応じて、全農兵庫県連は国家主義傾向の日本農民連盟に同調する方針をとり、2月20日の拡大執行委員会で兵庫県農民連盟への改組を決定して右翼的方針を鮮明にした。会長に長尾有、理事長は羽原正一。日本農民連盟支持政党、中野正剛の東方会が掲げる全耕地自作化のスローガンのもとに、1938年8月には東方会摂陽支部(支部長羽原)も発足した。10月9日の武庫郡瓦木村(現西宮市)での創立大会で日本農民連盟加盟を決議、小田村の辻本藤兵衛、武庫村の奥田末治も理事に選出された。日中戦争下の市街地化にともなう離作料要求も掲げるなど、組織実態は旧全農全会と変わりはなかった。1941年2月11日の兵庫県農民連盟解散後も、東方会支部が機能を代行、1942年4月の衆院選にも長尾を擁立した。1943年10月21日の中野正剛らの検挙に乗じて、長尾・羽原らが治安維持法違反容疑で検挙された。

執筆者: 岩村登志夫

参考文献

  • 岩村登志夫「戦時体制下の農民運動」『地域史研究』第6巻第3号 1977
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